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XⅦ.田んぼに水を入れる「水車(みずぐるま)」
2011 / 09 / 20 ( Tue ) 10:18:56
第17話 田んぼに水を入れる「水車(みずぐるま)」 ・・・・・・・☆

河北潟の東側に位置する集落、「潟端」で暮らしてきた昭和4年生まれの坂野 巌さんに、水郷の景観がひろがっていた1950年代頃(昭和34年頃)までの潟端の自然と暮らしについて聞き書きしています。

潟端は、河北潟の東にひろがる田園地帯にあって、水郷の里といわれました。竹竿を使って川舟を漕ぐ姿や、潟を通る帆掛け舟、収穫期の川沿いの稲架干しや、稲束をのせた舟が行き来する風景など、他所から来た人たちには珍しい情景があったようです。遠くから親戚が来たときには、シジミ貝をとったり、舟で潟に出て釣りをするなどして遊びました。
水車を踏む様子もそうした水郷風景の一つでした。「水車を踏んで川から田に水を入れる風景は、絵にも詩にもなる風物詩だ。」、といったことを良く耳にしました。しかし、そのようなのどかさは当の農民にはなく、田の旱魃や水車に関係のない人たちの言われることでした。水車を使うのは、田んぼが水涸れになる時で、大変な労力を要したからです。潟端では幸い、水不足による「寝ずの水番」や水争いはありませんでしたが、田植え後の稲が育つ時期に、揚水のポンプが故障したり、用水の水が不足して、田んぼが干し上がることがありました。水不足が起きると、家族で相談し、水車をアマ(農家の二階の物置)から出しました。

水車の用意
水車は、高さ約158cm、幅約216cmの大きさがありましたので、運ぶときは舟を使いました。ただ、ところどころに川を土嚢で止めたところがありましたので、舟で運ぶのにも苦心しました。春耕時に牛馬を通すのに積まれた土嚢です。
また、舟を通せない場所にある田んぼへ行くのがやっかいでした。どのような方法で水車を運ぶと良いか、家族で話し合ったものです。川畔の道幅も狭く、一輪車もリヤカーも持っていない時代でしたから、すべて人力で運ぶしかありませんでした。例えば自宅から2kmも離れた百石川近くの田んぼが干し上がったときは、水車を二つに分解して、背負ったり、肩に担ぐなどして、途中何回も休みながら運びました。
目的のところまで運び終えたら、川に水車を設置します。水車の車輪の深さは、水車を踏む人に合わせて調整しました。踏む力の強い人は、羽根が深く浸かるように低く設置します。例えば体重55kg、身長165cmの場合、水車の深さが25cm位になるよう仕掛けました。
水車は2本の竹竿と紐で固定されました。竹竿は水車を挟んで1本ずつ立て、川底の泥の中へ力一杯差し込みます。水車を踏むときに竹竿の上部を握りますので、握りやすい角度に取り付けました。作業中に傾かないよう、水車と竹竿を紐でしっかりと縛ります。また、川の水面と田んぼの水面の差が1m以上ある場合は、水車が使えませんので、仕掛けるのに別の工夫がいりました。見極めのいる水車の設置は経験を積んだ人がおこないました。

水車を踏む
水車は、別名「踏車(ふみぐるま)」と言うようですが、踏車という言葉は聞いたことがなく、潟端では「水車(みずぐるま)」の名で通っていました。人が水車の上に乗り、羽根板の端を踏み動かすと、羽根板が水面を叩きながら回ります。回転する水車の羽根板によって、川の水が汲み上げられ(押し上げられ)、田んぼに水を流し込みます。
水車の羽根板を300~500回も踏むと、汗が出て足も疲れます。水車の台の上に座って一服すると、周りが見渡せて気持ちの良いものでした。少し高い位置からの眺めで、田んぼの水が行き渡っていないところも確認できます。「まだあの辺にも水がいっていないな、何分の1くらいや、まだがんばらんといかんなー。」というもので、また踏み出します。身軽に水車から飛び降りて、田んぼのどの辺まで水が届いたかを見に行くこともありました。田んぼの水位が1寸(約3cm)にならないと、1人前の仕事をしたことにはなりませんでしたので、5cm位になるのを目標に、何度も水車から降りては田の先々まで見に行ったことを覚えています。
水車を踏むのは、大人の男性が主役でしたが、潟端に嫁いできた人は活発でよく水車を踏みました。身軽な子供も手伝いました。当時は人手不足で、学校から帰って水車を踏んだこともあります。高等小学校2年(今の中学2年生)の頃でした。

潟端の水車
潟端では、ほとんどの家が水車を持っていたようです。普段はアマか籾殻小屋などに保管されており、田植え後の用水不足が続いた年にのみ使われました。何年かに一度のペースで使われていた様子です。水車は使い終わると、すぐに日陰や納屋まで持ってきて、長持ちするよう大事に扱いました。
潟端には水車を作る大工さんが1人おりました。部落の東入口に所在した松井大工さんです。細工が上手で、使う人の意見をよく聞いてくださり、自分の工夫や考え方も話す熱心な棟梁で、皆から信頼されていました。父親のときにクサマキの立派な細工の水車を作ってもらいました。農機具ポンプの普及がすすむにつれて、人力の水車は姿を消していきました。水車を使わなくなった頃、資料館に収蔵するための道具を集めに廻っていた部落の住職さんにお願いされ、水車を寄付しました。

(「田んぼに水を入れる「水車(みずぐるま)」」は、NPO法人河北潟湖沼研究所の発行する通信「かほくがたvol.17-1 2011年」に掲載されています。)

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テーマ:自然科学 - ジャンル:学問・文化・芸術

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