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XⅧ.紐はカラムシ
2011 / 12 / 21 ( Wed ) 15:32:54
第18話 紐はカラムシ ・・・・・・・☆

河北潟の東側に位置する集落、「潟端」で暮らしてきた昭和4年生まれの坂野 巌さんに、水郷の景観がひろがっていた1950年代頃(昭和34年頃)までの潟端の自然と暮らしについて聞き書きしています。

麻畠
カラムシ(イラクサ科の多年草)は、茎の繊維が強く、麻として利用されていました。日常に必要な紐や縄などを自分たちで作っていた当時、カラムシの栽培は当たり前のことでした。
カラムシは、畑3坪くらいの場所(軽トラックの荷台4つ分ほどの広さ)で育てていました。その場所のことを「麻畠」といって、農家のどの家でも作られていました。麻畠の場所は、「屋号○○家の麻畠」などと呼ばれ、持ち主がふつうに知られているものでした。麻畠の広さは大小ありましたが、少ない家では、たくさんある家の余った分をもらっていたようです。
麻の刈り取り時期は夏に決まっていましたが、刈り取りをしたほうが来年良い物ができるといわれ、麻畠のカラムシは毎夏きれいに刈り取られました。カラムシのりっぱなものは、茎の太さが親指以上(直径2.5~3cmくらい)もあり、1株からたくさんの繊維がとれますので、太いカラムシが穫れるように、肥料をやって育てていました。
麻畠は、夏が近づくと蚊などの虫がたくさん発生し、嫌がられる場所でした。虫除けスプレーや殺虫剤もありませんでしたので、できるだけ近づかないようにしていました。

カラムシの利用
カラムシを刈り取る日は「土用の3番」と言われ、7月20日の土用入りして3日目が作業日でした。雨天の時は遅らせます。カラムシを育てて繊維を取るのは祖母の仕事でしたが、時々井戸水を汲むなどの手伝いをしました。
カラムシの繊維の取り方は、刈り取り後すぐに茎の皮をむいて、むいた皮を薄板の台の上に置き、専用の鏝(コテ)を使って皮を削ります。白くなるまで削り取って繊維を取り出し、水洗いして盥でしばらく晒してから、竿に吊して乾かしました。
乾かした繊維を綯って、紐や縄にします。カラムシの繊維は繊細でありながら強力で、細い紐から太いロープまで自由に作ることができました。ナイロン紐がありませんでしたので、カラムシの紐は重宝しました。また、藁で作られたロープよりも、カラムシの方が3倍も4倍も強くて丈夫で、カラムシの3本縄でつくられたロープは最も強度がありました。刈り取りした稲を積み込んだ舟を引っ張るときのロープとして用いたり、内灘へ行く舟の帆柱を立てるときにも用いられました。そのほか荷物を背負う縄、葦簀の紐、下駄の鼻緒の芯など、様々な用途がありました。
また、繊維だけでなく、皮をむいた後の茎を利用することもありました。乾燥させた茎を、家のタンスの下などに敷きつめます。カラムシの茎は中空で、吸湿、放湿性に優れている性質から、湿気取りとして上手く利用されていたように思います。

縄ない
いまでは縄を綯うことのできる人は少なくなりました。藁を3~4本ずつ両手に取り、両手の掌で縒りをかけて、一本の縄を作ることを綯うといいます。縄の太さが均一で、引っ張っても抜けたり切れたりしない丈夫なものが優れており、縄綯いも経験が大切でした。縄を綯う前段階に、藁を選って、一升瓶ほどの大きさに束ねたものを杵で叩きます。汗が出るほどたくさん叩きました。この手間を掛けることで柔らかくて使いやすい縄ができ、持ちも良くなりました。縄の出来が良いと草履や草鞋も上手に編むことができました。
それぞれの用途に合わせて太さの違う縄が作られていました。当時は、太さや長さの単位が尺貫法でしたので、縄の太さも「○分縄」といわれて通用しました。日頃一番使われた藁縄は、3分5厘ほど(約12mm)の太さで、「4分縄」と呼ばれていました。
縄の一番太いものは、なんといっても稲架縄で、8分(約24mm径)以上の太さがありました。ふつう縄は2本で綯いますが、稲架縄は3本で綯いました。3本縄でないと、稲の乾きが悪いといわれ、3本縄をつくるときは男性二人がかりで行いました。上から縄を吊して、その両脇に立って作業します。家族3人で協力することもありました。人力の縄綯い機もありましたが、藁を差し込むサイズに限界がありましたので、稲架縄ほどの太い縄は作れませんでした。
稲架縄は太さだけでなく、長さもありました。潟端では幅10間の稲架場に、稲架縄が10段架けられることが普通で、その10段分が1本の縄で張られます。長さにして100間分(約180m以上)もあります。保管するときは、縄を輪にして積み重ね、一回り6尺になるような大きさで円にし、それを10回させると60尺で稲架場一段分の長さに、それが10段分で100間と、長さを確認できる置き方をしました。この稲架縄は、冬場に作る大仕事でした。
「柴刈り 縄綯い 草鞋をつくり、親の手を助け 弟を世話し、兄弟仲良く孝行つくす、手本は二宮金次郎。」、唱歌の二宮金次郎にあるとおり、縄を綯うことが暮らしの一部にあった時代でした。

ナイロンの登場
各家で作る麻紐や藁縄は、自家用に使うのがふつうで、譲ることはあっても、売り物にはしませんでした。当時は、金沢市横安江町別院通りの目細針商店で、ロープや魚網などが売られていました。綿糸で作られたものがほとんどで、綿製のロープを購入して、荷舟を引っ張るのに使う人もいましたが、水に濡れると固くなる欠点があったようです。投網も終戦以前は木綿でした。
その後、ナイロンが流行してきましたが、ナイロン製の漁網は、高価でしたので使いませんでした。ナイロン紐が売り出されてから2~3年は、ナイロン紐にも難点がありましたが、次第に改良されて値段も下がり、利用するようになりました。自前の麻紐のように作る手間もかからず、安価なので気楽に使うようになりました。
ナイロンの普及がすすむとともに麻畠は姿を消していきました。耕して畑になったり、宅地に変わりました。そうしてカラムシ(麻紐)もいつの間にか使わなくなりました。


(「紐はカラムシ」は、NPO法人河北潟湖沼研究所の発行する通信「かほくがたvol.17-2」に掲載されています。)
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テーマ:自然科学 - ジャンル:学問・文化・芸術

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