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XⅥ.ドジョウ掬い
2011 / 07 / 12 ( Tue ) 08:30:42
第16話 ドジョウ掬い ・・・・・・・☆

河北潟の東側に位置する集落、「潟端(かたばた)」で暮らしてきた昭和4年生まれの坂野 巌さんに、水郷の景観がひろがっていた1950年代頃までの潟端の自然と暮らしについて聞き書きしています。

ドジョウは、潟端を流れる川にふつうにいる魚ですが、ドジョウを捕るのは6月末から7月中頃の夏の一時期でした。「土用の丑(7月20日頃)になるともう駄目なんや。」と言われ、7月20日を過ぎると数が入らなくなり、8月になると全く捕れなくなりました。
 部落内を流れる前川にはドジョウがたくさんいましたが、家庭排水が直接流れ込む場所のドジョウを捕ることはありませんでした。

ソウケ
「泥鰌掬い」というと、まず思い浮かべるのは、民謡『安来節』に出てくる男踊りでしょう。水玉模様の手拭いで頬かむりをして、5円玉を通した糸を耳からかけて鼻先にのせ、おまけに鼻下に2本線、頭には竹でつくられたザル「ソウケ(潟端の方言)」をかぶり、着物は尻まくりしてフンドシの垂れを見せ、腰には小さなイコ(魚の入れ物)を、肩にタスキを掛けた野良着姿で登場します。その踊りの身振り手振りや、足さばき、また掬ったドジョウをイコの中へ入れる仕草や、イコに入れたあと顔を上げて満足そうに笑う姿は、泥鰌掬いをする人の気持ちをそのままに表現したものと思います。
この竹で編んだザル「ソウケ」は、子どもの頃には各家々の台所にあって、米や豆などを洗うのに使われていました。ドジョウが捕れる時期には、小学校から帰るとすぐにソウケとバケツを持って、2~3人で近くの田んぼや小川へドジョウ掬いに行ったものでした。田んぼの水落口にソウケを当て、足でジャブジャブ踏み出すと、オタマジャクシやドジョウが逃げ出してソウケの中に入ります。藁を使っている水落口では2~3回同じ事をやっても、ドジョウが出てきました。

ウイ(またはウエ)
ドジョウ捕り専用の漁具には、潟端の方言で「ウイ(またはウエ)」がありました。これは潟端では主に田んぼの水を落水するときに用いました。6月中頃から7月中頃まで、田に溝を付けて、田んぼを乾かす段取りをします。田んぼの草を取りながら、泥を両手で掘り動かして溝を作っていると、ドジョウの気配を感じることがあります。そうした時は、水落口にウイを当ててから落水しました。田の水が次第に落ち、水が無くなった時を見計らってウイを取りに行きます。だいたい3合~5合くらいのドジョウが捕れましたが、思いがけないほどたくさんのドジョウが入っていることもありました。

タモ(タモ網)
ドジョウを捕るのに一番よく使っていた漁具は、ドジョウ掬い専用のタモ(タモ網)でした。このタモを持って外に出ると、「ドジョウ掬いに行くのかね。」と、聞かれたものです。網は蚊帳のように繊細で、普通のタモ網より少しサイズが大きく、網に袖袋が付けてあるのが特徴です。掬ったドジョウを溜められるので、この網があるとドジョウが捕れてもそのまま水の中を引きずりながら歩いて、ドジョウの棲んでいそうなところをタモで掬ってまわることができます。タモを担いで歩いている姿を見ると、豊漁かどうかがわかりました。
袖袋にドジョウがある程度溜まってくると、泥鰌入れ(泥鰌櫃)に移します。泥鰌入れは漁をしている間は日陰に置いておきました。上手な人は、半日で5升(10kg位)も捕れることがありました。ドジョウの大漁です。たくさん捕れたドジョウも、土用の丑の日を過ぎると不思議に捕れなくなります。
このドジョウ掬い専用のタモを持っている家は少なく、当時潟端の部落90軒余りある中で10軒ほどでした。タモが使えないような狭い場所では、ソウケを使いました。

蒲焼き、柳川丼に
捕ってきたドジョウは、冷たい井戸水を入れた大盥に、2~3日泳がしました。水を1日に何回も替えて、ゴミなどを十分に吐かせるようにします。猫に捕られないよう葦簾をかけるなどして、外の涼しいところに置きました。
土用の丑の日も近づくと、通称ドジョウ商人が魚屋さんを連れて買いに来ます。1cm間隔ほどの竹桟を目皿のように入れた木箱を使って、太めのもの、細いものを選り分けました。太いドジョウは蒲焼き用になるので高価でした。細いものは柳川丼だと言っていました。土用の丑の頃は値が一番高くなりますが、あまり捕れなくなるので、前もって蓄えておきました。
また、泥を吐かせたドジョウを新鮮なうちに地主の家に持っていきました。自宅では最後に残ったドジョウを食べました。器用な人は蒲焼きにできましたが、柳川丼にして食べるのがふつうでした。あまりたくさん食するものではなく、若い人はあまり口にしませんでした。

ドジョウ掬いの狙い時
稲の生育も進み、田んぼの除草も一段落する7月頃になると、川から揚げていた用水のポンプを止める日が出てきます。水の流れが無くなると、用水路や川の一部に淀みができ、夕暮れ近くは水温が上がって酸欠状態になります。こんな時、そこにいた魚は水面近くで口をパクパクさせ、人が近づくとガバッと水中へ逃げます。ドジョウも水面近くでぴしゃっと跳ねるのでわかります。たくさんドジョウがいるところでは次から次に跳ねるので、そんな場所には翌日になると誰かがドジョウ掬いに行っているものでした。
日中の暑くて皆が昼寝をしているような頃を狙って、密かに捕りに行ったりもしました。田んぼの小川でドジョウ掬いに熱中しているときは、ヒルに血を吸われても気づかないくらいです。あとで足を見た時にびっくりします。ドジョウ掬いの上手な叔父さんに色々と教えてもらった記憶があり、隠れ場所から足の裏で追い込む水中の足技を習ったことを思い出します。

(「ドジョウ掬い」は、NPO法人河北潟湖沼研究所の発行する通信「かほくがたvol.16-4」に掲載されています。)


テーマ:自然科学 - ジャンル:学問・文化・芸術

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